| ちょっと長めの文章を試しに張り付けてみます。
 
  冬になるとほしくなる暖かい飲みモノというテーマで、杉子さんが問いかけをしていたので、考えてみました。 
 暖をとるために、缶コーヒーを買うところに、杉子さんが関心をもってくれたので、ふと、若いころの記憶がよみがえりました。
 
 若いころといっても、私が30代前半のころです。いまから17,8年前。
 ぜんそくの発作で救急搬送された長男は、まだ2歳くらいだったでしょうか・・・・・
 
 1年の半分は病院に入院しているような、そんな虚弱な子でした。
 
 できる限りの最良の医療を与えてもらっていることは理解しているのですが、小さな子供を病院に預けて、家路につかなくてはなりません。
 
 なんどこの道を歩いただろう・・・・
 なんどこの道をこれからも歩くのだろう・・・・・
 なんど、この待合室で、闇を見詰めながら座っていればいいのだろう・・・・・
 
 深夜の待合室は、電気も消され、ひんやりとしていました。
 真冬だったのに、大した防寒着も着ないままに病院にやってきたものだから・・・・・こどもが急に具合が悪くなるというときに、身なりのことなど考えてはいられません。
 
 落ち着いて、待合室に座っていると、しんしんと寒くなってきました。
 
 いつもは、甘過ぎて好きではない缶コーヒーの「あたたかい」という赤いランプがとても温かくおもえて、購入しました。
 それは、冷え切った掌にはやけどしそうなくらいの熱さに思えました。
 
 両手で缶コーヒーを包み込むようにして暖をとっていると、かみさんが治療室から出てきました。
 
 「明日の朝、8時から。それまでは、家に帰るわ」
 と、いつもの手順です。
 
 彼女の手も冷え切っていました。
 
 僕の手の暖かさに驚いたので、
 
 「心の冷たい人は手が暖かいっていうじゃない」
 といって、まだ温かい缶コーヒーを彼女のコートのポケットに入れました。
 
 あのころは、楽しいことが少なくて・・・・こんな、冗談で、クスッとわらえれば良し、という生活でした。
 
 
 あれから10数年。
 
 育たないかもしれないと覚悟していた息子が大きくなり今度は大学受験です。
 あの頃、一人で留守番して涙をこらえていたおねえちゃん5歳が、もうすぐ大学卒業です。
 
 
 缶コーヒーで暖をとるということから、思い出すことのなかった暖かい記憶を呼び起こすことができました。
 
 昨日の結婚記念日以降、なぜか、かみさんを尊敬する気持ちがわき起こってくるのは、そういう催眠術か、薬剤を投与されている可能性はあります。
 
 そのうち、以前のペースに戻って、かみさんの目をぬすんで買い食いをしたり、酔っぱらって迷走したりするかもしれませんが、今日は、いい子ちゃんモードのままのようです。
 
 以前の八歩に早く戻れるよう、皆様の激励をお願いいたします^^
 
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